FC2ブログ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

最新記事

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「その後」遺恨が浅からず残っているから、知ったとしても・・・春秋 八葉蓮華

 幕末の戊辰戦争で集団自刃した会津藩の白虎隊に1人だけ生存者がいたことは知る人ぞ知る。その少年が宿敵・長州の藩士の元で養育されたらしいことまで知る人は少ない

 一命を取り留めた時は10代半ばだった飯沼貞吉は、新政府軍によって東京に送られたとされる。会津攻めにも加わった長州藩士楢崎頼三が長州の屋敷に連れて帰り、1年半ほど養育した、と伝えられる

 楢崎家(現山口県美祢市内)に奉公していた女性の口伝から地元ではよく知られている。女性の子孫から直接話を聞いたり史料を調べるなどした貞吉の孫、飯沼一元さん(67歳、東京在住)も信じるに至った

 貞吉は明治5年に逓信省の技師になり下関などで勤めたことが分かっている。技師になるまでには「(1人だけ生き残った)絶望のふちから立ち直るきっかけが必要だったはず。美祢では勉強の機会も与えられたようだ」と一元さん(河北新報)

 長州が絡む貞吉の「その後」を知る人は、会津では少ないという。遺恨が浅からず残っているから、知ったとしても信じたくない、と言う人が多いだろう。一元さんも以前はその一人だった

 先週末、一元さんは再び美祢市を訪ねた。関係者に「この地での生活があったからこそ、その後の人生があった」と感謝の言葉を述べ、往時を語り合った。遺恨を超えた関係を築きたいと思っている。今回の長州行には会津から十数人が同行したそうだ。

春秋 西日本新聞 2010年3月25日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://hachiyorenge.blog54.fc2.com/tb.php/369-cf18bfbd

 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。