カレンダー

03 | 2010/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新記事

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

無駄遣い一掃「尾頭」無駄なようだが無駄ではない・・・春秋 八葉蓮華

 昨年末、政府の行政刷新会議の事業仕分けで芸術文化振興費が「圧倒的縮減」と判定されたとき、「文化をばかにしている」の声が、落語の師匠たちの間からも上がったことを思い出す

 日本演芸家連合会長を務める三遊亭金馬師匠は、古典落語の一場面を引いて苦言を呈していた。大(おお)店(だな)の旦(だん)那(な)が番頭に、世の中のありようを、尾頭付きの鯛(たい)に例えて話して聞かせる場面だった

 「頭と尾は食べる人もかじる人もいない。それでも尾頭がないと鯛は値打ちがない。無駄なようだが無駄ではないというわけだ」。予算削減の判定を、尾頭付きを解さないやぼ天と感じたのだろう

 師匠が引いたこの噺(はなし)は、芸術文化振興費の問題にとどまらず、民主党が鳴り物入りで始めた事業仕分けを考えるうえでも示唆に富む。話が脇道にそれるが、示唆は噺の題にある。題は「百年目」

 「百年目」には「運のつき」の意味がある。国語辞典によると、見つけられたが百年目、などと使う。きのう再開された事業仕分けは、税金の無駄遣いの温床とされる独立行政法人などに切り込む。天下りの受け皿にしてきた官僚たちにも、先述した用例が使えそう

 「百年目」は「めったにない好機」の意味でも使われる。行革による無駄遣い一掃は自民党政権時代からの宿題だった。自民党にはできなかった。それゆえの政権交代だったと、あらためて思う。こんども無理なら国家百年の大計もない。

春秋 西日本新聞 2010年4月24日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge
スポンサーサイト

42歳の鉄人「全イニング」1492試合で記録が止まる・・・春秋 八葉蓮華

 鉄則、鉄(てっ)槌(つい)、鉄火…。鉄が付く熟語はいろいろある。厚かましいことを意味する鉄面皮(鉄面とも)のように、ごめんこうむりたいものもある

 スポーツの世界でもよく耳にする。「鉄拳」パンチはボクシングでは強者の代名詞だ。こぶしを腕に代えて「鉄腕」となると、何十年も前に福岡のプロ野球チームが生んだ鉄腕投手が浮かぶ

 プロ野球の世界は、体全体を鉄に例えた「鉄人」も生んだ。最初にそう呼ばれた衣笠祥雄さんは、2215試合連続出場記録を持っている。42歳で現役ばりばりの「鉄人」、阪神球団の金本知憲選手は連続試合全イニング出場記録を伸ばしてきた

 「全イニング」とは守備も交代しないということだ。先週末に1492試合で止まった。右肩痛で送球できなくなった。先発を外すよう自分から監督に申し出た。記録が止まることよりチームに迷惑をかけることを恐れた

 6年前を思い出す。左手首にシ球を受けた翌日、ほとんど右手だけで2本のヒットを打った。左手首は骨折していたことが後日分かった。試合は休まなかった。鉄のような堅固な心も持っているに違いない

 途絶えはしたが、偉大な記録は阪神に移る前の広島時代に始まっている。衣笠さんも広島だった。2人の鉄人を育てたのが、財政的には豊かでなくてもファンの支えが鉄のように強固な地方の球団だったのは、偶然だろうか。話があらぬ方向に向いたかもしれない。

春秋 西日本新聞 2010年4月20日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

首都の夜景に欠かせない「東京タワー」一番ではなくなった塔・・・春秋 八葉蓮華

 「日本一高い建造物」の座は、52年前に建設された東京タワーから、建設中の東京スカイツリーに移った。先日、両方を見てきた。一番ではなくなった塔のことを振り返ってみたくなった

 昭和33年に完成したあとは東京見物や修学旅行の定番コースになった。晴れた日には富士山も見える。訪れた人は昨年秋に1億6千万人を超えた。急にそっぽを向かれるはずはない。遠からず2億人の声を聞くだろう

 東京タワーに上りたい、という気持ちはたいてい子どものころにわいた。「怪獣もの」によく出てきたからだ。映画やテレビが次々に生む怪獣の多くは、日本一高い塔を攻撃目標に選んだ。何度破壊されたことか

 破壊とまではいかなくても、「傾いた」と報じられたことはある。4年前の4月1日だった。「エープリルフールのつくり話」と断っていた。高さで抜かれると判明した直後だった。タワー自身の気落ち(?)も読み取れた

 抜かれた直後に巡ってきた今年の4月1日には、こんな記事も。「東京タワー 異国で第二の人生? 中国企業が食指」。関心の高さを示す。抜かれても役目が終わったわけではないから無論売れない

 近年はライトアップが一段と美しい。首都の夜景に欠かせない。サッカー・ワールドカップに日本代表が出場を決めた昨年6月にはユニホームに合わせて青く照らされた。再来月に迫った本番で好成績を収めた時にもまた見たい。

春秋 西日本新聞 2010年4月19日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

「パリに咲いた古伊万里の華」白く美しい東洋の磁器にあこがれ・・・春秋 八葉蓮華

 江戸時代末期に開国した日本から海を渡った浮世絵、漆器などの伝統美術・工芸品は欧米で大いにもてはやされた。パリ万博も介して広がった日本趣味・日本ブームはジャポニスムと呼ばれた

 源流を江戸時代初期に見ることができる。長崎・出島から6千点近い日本の磁器を積んだオランダ東インド会社の「フォーゲルザンク号」が欧州に向かったのは、開国から200年さかのぼった17世紀半ばのことだ

 当時の欧州に磁器を作る技術はなかった。白く美しい東洋の磁器にあこがれた。戦乱で中国からの輸入がままならなくなったため日本に目を向けた。日本では朝鮮陶工から学んだ磁器づくりが肥前有田で本格化していた

 伊万里港から出荷された有田の磁器は、今では「古伊万里」の名で世界に知られる。欧州の王侯貴族の注文に応じて作られた。日本では見られないデザインが多い。約100年にわたって数十万個が輸出された

 今夜、TVQ九州放送で放送される「パリに咲いた古伊万里の華 ヨーロッパを魅了したNIPPONの美」(同局制作)に詳しい。女優の羽田美智子さんが案内してくれる

 九州国立博物館では「パリに咲いた古伊万里の華」が開かれている(6月13日まで)。パリ在住の碓井文夫さんの収集品を展示中。文化の先端をいっていた欧州でジャポニスムの先駆けを担った九州の産品を、歴史をおさらいして鑑賞するといっそう誇らしい。

春秋 西日本新聞 2010年4月17日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

次の世代への贈り物「クレイジー・フォー・ユー」失うと取り戻すのは難しい・・・春秋 八葉蓮華

 「お母さん、すてきな『こどもの日』のプレゼントをありがとう」。中学生の投稿が本紙「こだま」欄に載ったのは、10年前のことだった

 キャナルシティ(福岡市博多区)にあるミュージカル常設劇場・福岡シティ劇場に、お母さんが連れて行ってくれたという。ミュージカル「クレイジー・フォー・ユー」に胸を熱くしたと書いていた

 劇団四季が福岡、九州の人たちに常設劇場をプレゼントしたのは14年前。数年後から入場者は減少し、先行きが心配された。そのころの「こだま」欄にはこんな声も。「根づきつつある文化を絶やしてはいけない」(39歳、会社員)

 今週は49歳の主婦の投稿が載った。百道浜に最初にできたキャッツシアターに幼い長女と行ったことがあり、いつか長女たちも自分の子とシティ劇場に行ってほしいと思う。ただ、先日行ったら空席が目立ち悲しくなった。そんな内容だった

 投稿を見た日に劇場に行くと「クレイジー・フォー・ユー」をやっていた(今月18日まで)。空席がある寂しさを、ミュージカル・コメディーが忘れさせてくれた。四季は「3月で一時休止」を一度発表したが、「やめないで」の声が起きて見直した。8月までの結果を見て決める。もどかしい日が続く

 失うと取り戻すのは難しい。郷土の財産としての観劇文化を、次の世代への贈り物にしたい。引き継げた喜びを「こだま」欄で聞ける時が早く来るといい。

春秋 西日本新聞 2010年4月16日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

「私たちの国の言葉の力」俺達の国語ば可愛がれ・・・春秋 八葉蓮華

 数日前の小欄で井上ひさしさんに触れたばかりだった。井上さんが言う「言葉の力」について、そのときは書いた。訃(ふ)報(ほう)を聞くことになろうとは

 井上さんが書いたものをいくつか読み返した。あらためて思ったことだった。言葉って面白いな。日本語って深いな。話の進め方の楽しさ、連れて行ってくれる世界への奥行きが、そう思わせる

 人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本に始まり、小説、戯曲、エッセーを書いてきた。色紙などにはよくこう書いた。〈むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに…〉

 織って小説にすると「吉(き)里(り)吉(き)里(り)人(じん)」になる。作中の語り手の口調を借りれば、吉里吉里国の物語はこっけいでたわいなく見えて、実はまじめで含蓄に富む。第2章の題〈俺(おら)達(だ)の国語ば可(めん)愛(ご)がれ〉は井上さんが発し続けたメッセージを象徴した

 背筋を伸ばして平和を思い願った人でもあった。幼時の戦争体験が根っこにある。日本の遺産を憲法9条に求めた。広島原爆資料館に記帳した言葉は〈記憶せよ 抗議せよ そして生きのびよ〉

 井上さんの世界は入り口が複数ある。どこから入っても「私たちの国の言葉の力」と書かれた部屋に通じている。表現したいことを形にし終える途中で逝った。もっと楽しませてくれるはずだった。もっと考えさせてほしかった。まだ75歳だったと訃報で知った。

春秋 西日本新聞 2010年4月13日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

山あいにある子どもたち「日本一長い小中学校」週刊こどもニュース・・・春秋 八葉蓮華

 字数が百を超す長い名前の子が古典落語に出てくる。「寿(じゅ)限(げ)無(む)寿限無」で始まり「ポンポコピーのポンポコナの長久命(ちょうきゅうめい)の長助」で終わる。子ども向けテレビ番組で紹介され、暗唱する子が増えたことがあった

 暗記力にすぐれた子どもたちにとって、自分の学校の名前が少々長くても、覚えるのはわけない。字数でいうとちょうど30。すべて漢字だから、ひらがなにほぐしていえば2倍くらいになるが…

 「高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小学校」。両県に校区がまたがる学校として58年前にできた。両地域がお金を出し合った。昔から交流が盛んで一つの地域のように生活してきたという

 近年の児童数は約20人。先月下旬にあった卒業式を、NHK「週刊こどもニュース」で見た。校長先生は卒業証書を授与するとき、忘れないでね、という感じで一人一人に校名を読み上げていた

 学校のホームページをのぞいてみた。校歌は「土佐と伊予との隔てなく…」などと歌う。校訓は「静かに考える子 楽しく遊ぶ子…」と言う。山あいにある小学校の子どもたちの様子が目に浮かぶ

 校名が「日本一長い小学校」の卒業生はきのう、「日本一長い中学校」に入学した。同じ校舎内にある。中学生になると、長い名が教える学校の歴史や特色にも思いは向く。中学校と小学校の隔てもなく、小学生たちのお兄さんお姉さんとして面倒をみるそうだ。

春秋 西日本新聞 2010年4月9日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

歴史散歩「博多独楽」の世界に心を浮游させて・・・春秋 八葉蓮華

 江戸時代に筑前から伊勢、善光寺、日光を旅した商家のおかみさんの一行があった、と1カ月前の小欄で紹介した。残された日記を基に作家田辺聖子さんが書いた長編読み物を参考にした

 その「姥(うば)ざかり花の旅笠 小田宅(いえ)子(こ)の『東路(あずまじ)日記』」を、あの時は読み終えていなかった。最後まで読んだなかで、日記に出てくる独(こ)楽(ま)の話が興味深かった。帰路の京都でのことだ。一行が見とれたのは独楽の曲芸だった

 田辺さんに執筆用史料を種々提供した宅子の子孫の1人、日高康さんから「博多独楽でしょう」と教わったそうだ。大陸渡来の独楽は博多で初めて芯棒に鉄が使われ、日本独特の独楽芸を生んで全国各地を巡った

 博多生まれの独楽芸は海も渡った。1867年のパリ万博での人気は今も語り草。博多独楽についての田辺さんの記述は、くだんの著書の文庫本版で5ページ余にわたる。「しばし博多独楽の世界に心を浮(ふ)游(ゆう)させて楽しんだ」そうだ

 資料は「筑前博多独楽」(高千穂書房、1977年)に拠(よ)ったという。この著者は筑紫珠(しゅ)楽(らく)さん。一度すたれた博多独楽を再興した人だ。独楽を作る技術と剣先などを渡らせる芸は、長女の二代目珠楽さんが継いだ

 いろいろ調べていて、独楽は「博多町家ふるさと館」にあることを知った。行ってみると、博多の伝統の技の一つとして展示してあった。江戸期の日記に案内されながらの、ちょっとした歴史散歩になった。

春秋 西日本新聞 2010年4月8日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

与党・野党を問わず、待ち受ける政界の春の海は霧に加えて波も高い・・・春秋 八葉蓮華

 きのうは「民主党丸」について書いた。きょうは「自民党丸」だ。衛星利用測位システム(GPS)の不具合を思わせる迷走が続く現政権党に対し、旧政権党は船体に亀裂が生じたか何かしたかのような事態になっている

 下船する人が絶えない。昨年暮れに始まり、1月と3月に複数出て4月も続く。参院議員から始まり衆院議員に移った。ここに至って、沈没を恐れる人たちが船を離れるかのような感じにもなってきた

 党の中心人物が離れ始めたことが、そう思わせる。与謝野馨氏は昨夏までの自民党政権時代は政策の中心にいた。政策で重きをなした人に見限られた、のだとしたら、自民党丸はエンジンの不具合も起こしているかもしれない

 谷垣禎一船長は「一緒にできる道はないのか」と慰留はしたらしい。形だけのことだった。「あんたが大将だから」とは今回は言えなかった。「大将はおれだ」と自分に言い聞かせる日が悶(もん)々(もん)と続く

 下船者らによる小さな新党結成の動きが、自民党丸船長の悶々鬱(うつ)々(うつ)を募らせる。5年前に郵政民営化に反対して離党した平沼赳夫氏も新党に加わるという。与謝野氏と共同で代表を務める予定

 与謝野氏は郵政民営化を推進した。針路は大丈夫か。民主党丸でも触れたが、船頭多くして船山に…の懸念が小ぶりながら新党にもつきまとう。かくして与党・野党の船籍を問わず、待ち受ける政界の春の海は霧に加えて波も高い。

春秋 西日本新聞 2010年4月5日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

半年余の「民主党」やってみるとこれが大変に難しい・・・春秋 八葉蓮華

 霧などで海上の視界が悪い時、衝突しないよう「ここに船がいるぞ」と船自身が鳴らしたり、「灯台はここだぞ」と陸地から鳴らしたりする

 「ウォーン」「ブォー」…。灯台の位置を霧笛で知らせる霧信号所は、ピーク時は全国で53基稼働した。残っていた9基が先月末で廃止された。衛星利用測位システム(GPS)など航海計器の機能向上で役目を終えた

 廃止になった霧信号所を、いっとき永田町に引っ越しさせてはどうか。霧が深まる国会議事堂周辺では、出港して半年余の「民主党丸」が迷走中。日に日に危険度を増している。霧信号所の数は多いほどいい

 出港時に新調していたはずのGPSに不具合が生じた。安普請だったらしい。それまでとは違う航海を約束したのは何だったのか。自民党時代に何度か見た霧を、民主党も発生させて「ここはどこ?」状態になっている

 時代も状況も異なるが、落語の「船徳」が浮かぶ。勘当された若旦(だん)那(な)・徳さんがいなせな船頭への変身を試みる。竿(さお)は三年艪(ろ)は三月(みつき)、と言い、やってみるとこれが大変に難しい。初仕事の途中で音を上げて客に頼む。「船頭一人雇ってください」

 操船技術だけでなく、民主党丸の場合は船長の数にも問題がある。何人もいたのでは迷走もする。「とりあえず陸地に」というのなら放っておいていい。「船頭多くして船山に登る」と古来言う。そうなった時のお代は夏の参院選で払う。

春秋 西日本新聞 2010年4月4日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

国際社会の支援の輪、絶望が支配していた島国に希望が届けられる・・・春秋 八葉蓮華

 ハイチは1804年に独立した世界初の黒人主体の共和国として知られる。中南米で最初の独立国としても知られる。中南米の最ヒン国であることはあまり知られていない

 国民の76%が1日2ドル以下で暮らしている。内乱が絶えなかった。政権が目まぐるしく変わった。市民の暴動が珍しくない。そんな国を今年1月、地震が襲った。6年前のスマトラ沖地震に匹敵する大規模災害となった

 建物の約3割が倒壊し、20万人以上がシ亡した。被害総額70億ドルは国内総生産(GDP)より多い。3カ月近く過ぎた今も壊滅的状況は変わらない。長期復興には100億ドル以上必要と国連は試算している

 おととい国連本部で開かれたハイチ支援会合で、日本を含む約50カ国が3年間で99億ドルを拠出することで合意した。絶望が支配していた島国に希望が届けられる。国際社会の連帯が、希望を金額以上に大きなものに見せる

 政府による拠出とは別に、組織や個人で支援に加わった人が各国にいる。欧米の著名人らが大口寄付者に名を連ねるのは復興支援では普通の光景になった。児童や生徒が寄付を集めた学校の話を日本でも数多く聞く

 ハイチは本格的な雨期に入る。震災被災地では先月から降雨被害も出始めた。住居を失ったままの人は約130万人に上る。テント生活者はこの先、ハリケーンの襲来にもおびえなければならない。支援の輪を一日も早く形にして届けたい。

春秋 西日本新聞 2010年4月2日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

女性編「理想の上司像」女性である確率は一昔前に比べると低くはない・・・春秋 八葉蓮華

 九州では桜色の風に送られて3月が去り、光を増す風に迎えられて4月がやってくる。陽光にスーツ姿がまぶしい新社会人にとっての4月は、待ちわびた思いが小さな不安付きでやってくる

 職場ではどんな上司が待っているだろう。その期待と不安も交じる。1年前のきょうの小欄は「理想の上司像」男性編を紹介した。明治安田生命保険が毎年行うアンケートで昨年1位だったイチロー選手に絡めて書いた

 きょうは女性編でいく。同じアンケートで2010年の女性1位には女優の天海祐希さんが選ばれている。今春就職予定の男女約千人が回答した。「頼もしい」「あねご肌」の印象が支持された

 そんな上司に当たるかどうかは定かでないが、上司が女性である確率は一昔前に比べると低くはない。民間企業の管理職に占める女性の割合は約10%で、10年前のおおむね2倍という。30―40%の欧米諸国と比べるわけにはいかないが

 理想の女性上司像の2位は女優の真矢みきさんだった。40代の天海さんと真矢さんはともに宝塚歌劇団出身だ。男役のトップスターでもあった。今の時代、男性管理職が頼りないのかもしれない

 仕事はさっさと片付けて飲みに行こう、という感じの上司を天海さんは昨年演じていた。宝塚時代は「最初は劣等生だった」と言う真矢さんは自著のタイトルを「願えばかなう」にした。習いたい女性上司はどこの会社、官公庁にもいる。

春秋 西日本新聞 2010年4月1日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

小さな桜並木の物語「桧原桜」人と人を結んで響かせ合う・・・春秋 八葉蓮華

 桜の情景を短歌で詠む「第1回桧(ひ)原(ばる)桜賞」の表彰式が、池のほとりの桧原桜公園(福岡市南区桧原)であった。4千を超える作品が寄せられた

 最優秀の福岡市長賞に学生の部で選ばれたのは〈はるかぜにまうはなびらをつかまえて こころのなかにはるをしまった〉。筑紫丘高1年金子有喜さんの作品だ。南区長賞の筑紫丘小5年田島章太郎君は桧原桜を歌った。〈おんぶされ桧原桜で食べた菓子 母の背中が温かかった〉

 桧原桜は小学校の副読本にもなった。26年前に市道拡幅工事で切られる寸前だった桜の話。せめて最後の開花まで待ってと詠んだ色紙を桜に下げた人がいた。共感の短歌を詠んで下げた人たちは、数日後、とわの開花を約束する市長の返歌を見つける

 もし桜の延命を願う人が声を上げなかったら、小さな桜並木が広く知られることはなかった。もし願いが輪を広げなかったら…。もし当時の市長が大和ごころで応じなかったら…

 いくつかの「もし」をくぐり抜けて、小さな桜並木は物語になった。人と人を結んで響かせ合ったりすることのできる何か大きな力を思いたくなる。たとえばオーケストラの指揮者のような

 「桧原桜賞」の一般の部の福岡市長賞には、同市中央区の58歳の主婦石井美智子さんの作品が選ばれた。神社の桜吹雪を詠んだという。桧原桜の情景とも響き合う。〈青空に幣(ぬさ)振る神のみ手ありや 土へ水へといそぐ花びら〉

春秋 西日本新聞 2010年3月30日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

小さな命を思う話題「めだかの学校」があった風景は今は昔・・・春秋 八葉蓮華

 先日の本紙にメダカの話題が載っていた。11年前、土地区画整理事業ですみかを失うことになったメダカを、児童が小学校などに引っ越しさせ、その後も後輩が地域の人たちと一緒になって育て…

 5―6世代目の数百匹が、市が造った「湧(ゆう)水(すい)めだか公園」にこのほど放流された。大分県津久見市の話題だった。11年前といえば、メダカが絶滅危惧(きぐ)種に指定された年だ。小さな命を思う話題が春には似合う

 日本で最も小さな淡水魚メダカは、土地土地によって方言名がずいぶん違うことでも知られる。全国の方言名を調べた史料もある。関東の「めだか」に“統一”される前は5千近くを数えたという

 「方言と地図」(フレーベル館)からの引用だ。江戸時代の方言名の一部は北から南に以下のごとし。「めざこ」「うるめ」「めったそ」「うきた」「こめんじゃこ」「ねんぶりこ」「めいた」…。九州では「たうを」が紹介されている

 九州だけでも相当の数の呼び方があったのだろうと想像する。明治時代に「めだか」の名で教科書などに載るようになって様子が変わっていったらしい。昭和に入ると、戦後間もなく「めだかの学校」という歌が作られ、津々浦々に流れていった

 〈めだかの学校は 川の中 そっとのぞいて見てごらん…〉。のぞいて見たくても、「めだかの学校」が町なかにもあった風景は今は昔。冒頭に紹介したような話がもっと聞けるといい。

春秋 西日本新聞 2010年3月29日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

何年も味わっていない優勝「すそ模様」は時代とともに変わる・・・春秋 八葉蓮華

 野球選手のユニホームの「すそ模様」は時代とともに変わる。19世紀にプロ野球を生んだ米国では、ひざ下でくくったニッカーボッカー・スタイルを経て、すそがだんだん伸び…

 ストッキングが見える選手はごく少数になった。地面に着きそうなくらいに伸びたすそが、長い脚をさらに長く見せる場合もあれば、靴付近でだらしなくまとわり付いて見える場合もある

 いつの間にか大リーグに倣った日本球界だが、ひざ下までストッキングを見せる選手も出てきた。数年前にイチロー選手に倣った川崎宗則選手がいる福岡ソフトバンクでは、小久保裕紀選手も今季からそうしている

 小久保選手にとっては青山学院大学時代以来という。38歳のチーム最年長選手として、主将として、期するものがあるのだろう。北海道での開幕3連戦で4番に座って打ちまくったのを見て、その感を強くした

 ひざ下からストッキングが見えるのをクラシック・スタイルと呼ぶ。クラシック調を好む選手が出てきたことは、胸のマークなどを含めて往年と同じユニホームを復活させる球団が出たことと、どこかでつながっている

 忘れられないプロ野球の原風景は人それぞれだ。郷土ぐるみで熱くなった時代を思い出す人もいるだろう。ボカスカ打った西鉄打線と数々の日本一…。何年も味わっていない優勝の熱狂を取り戻したい。福岡の球団の今季の打線はボカスカの雰囲気も漂わせる。

春秋 西日本新聞 2010年3月26日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

「その後」遺恨が浅からず残っているから、知ったとしても・・・春秋 八葉蓮華

 幕末の戊辰戦争で集団自刃した会津藩の白虎隊に1人だけ生存者がいたことは知る人ぞ知る。その少年が宿敵・長州の藩士の元で養育されたらしいことまで知る人は少ない

 一命を取り留めた時は10代半ばだった飯沼貞吉は、新政府軍によって東京に送られたとされる。会津攻めにも加わった長州藩士楢崎頼三が長州の屋敷に連れて帰り、1年半ほど養育した、と伝えられる

 楢崎家(現山口県美祢市内)に奉公していた女性の口伝から地元ではよく知られている。女性の子孫から直接話を聞いたり史料を調べるなどした貞吉の孫、飯沼一元さん(67歳、東京在住)も信じるに至った

 貞吉は明治5年に逓信省の技師になり下関などで勤めたことが分かっている。技師になるまでには「(1人だけ生き残った)絶望のふちから立ち直るきっかけが必要だったはず。美祢では勉強の機会も与えられたようだ」と一元さん(河北新報)

 長州が絡む貞吉の「その後」を知る人は、会津では少ないという。遺恨が浅からず残っているから、知ったとしても信じたくない、と言う人が多いだろう。一元さんも以前はその一人だった

 先週末、一元さんは再び美祢市を訪ねた。関係者に「この地での生活があったからこそ、その後の人生があった」と感謝の言葉を述べ、往時を語り合った。遺恨を超えた関係を築きたいと思っている。今回の長州行には会津から十数人が同行したそうだ。

春秋 西日本新聞 2010年3月25日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge

 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。